アジアの風に恋をして

マジェスティック・ホテル


 六年振りにベトナム・ホーチミン市に行った。

 OVTA事業の企業人の派遣・受入の内容説明会がホーチミン日本商工会議所事務所の協力で今月中旬に行われた。七十社近くの在ホーチミン日系企業の方がみえられた。

 さて、ホーチミン市の街を歩いた。

 オートバイ(ホンダカブのスタイル)が道路を埋めつくす”ホーチミン名物”は、六年前以上に溢れた感じを持った。車体に大きく英語表示されたタクシーメーター車は、前に来た時にはほとんど目につかなかった気がする。上下白色のアオザイ・ユニフォームで若々しく自転車をこぐ女子高校生の姿は、六年前と同じであった。が、以外と市民の自転車利用は、少なくなっているように見えた。とは言え一日中往来の市民の様子を見ていたわけではないので確証はない。なんといっても六年前との違いは、中高層のシテイ・ホテル群の出現であった。これには、目をみはった。

 私は、ベトナム戦争中の一九七三年の後半に、ラオスの首都ビエンチャンから旅行で当時の南ベトナムの首都サイゴンに行ったことがある。今回のホーチミン出張でもそうだったが、まずホーチミンに着いたら必ず行きたいところがあった。そこは、ホーチミン市でも銀座、赤坂、六本木界隈の趣のあるエリア。街路樹の通りがサイゴン川に突き当たる位置に建っているマジェスティック・ホテルである。「一九二五年からサイゴンを見つめてきたコロニアルスタイルの歴史的ホテル」と旅行ブックには、書かれている。

 私が、このけばけばしさの一切見えない七十年以上もたつシックなこのホテルに肩を入れるのは、外装や内装ばかりからではなかった。私の二十歳代は、ベトナム戦争の戦火の経過とともにあった。私は、ベトナム戦争への興味関心は人一倍強かった。大森実、本多勝一、開高健といった従軍記ものは、必ず読んだ。

 マジェスティック・ホテルを常宿とした開高健は、「ベトナム戦記」にベトコン(南ベトナム解放戦線)の攻撃が、このホテル周辺までも及んだことを書いている。一部ホテルに被弾する事態は、正に解放戦線の首都サイゴンへの肉迫を意味した。私は、この硝煙の歴史を刻んだ屋上のテラス・バーに二十数年前初めて行った。本を読みに行きたかったからである。ベトナム産の「333」ビール(今もある)を口にした私は、テラス越しに目の下を流れるサイゴン川と対岸の人家が見えないヤシ樹林の生い茂った一帯を視界に入れ、当時の戦場を想像し一人感慨に浸ったのである。そして、二回めに訪れた六年前も今回に訪れた三回めもマジェスティック・ホテルのテラス・バーに行き一人青春時代を懐かしんだのである。

 時代の要請なのだろう。ホテルの外装といいテラス内といい明るいカラーで一塗りされていた。〃古色さ〃の持つ落ち着きさから少し脱皮してのモダンさを見せる新しいマジェスティック・ホテルの誕生に思えた。

(OVTAタイ事務所所長)
開原 紘


[BANGKOK SHUHO]