アジアの風に恋をして

チェンマイ 2 話


その1

 二十年振りにチェンマイを訪れた。出張での一泊二日、非常にあわただしい〃再会〃となった。城壁と濠、川それに当時のままの建物や周囲の古色さは、昔と変わらなかった。が、視覚聴覚は、時を越え一瞬の内に今に戻した。にぎやかである。中層ビルが目につく。英語表示が多い。欧米の観光客の人人人…。そう、私の見たチェンマイの街は、近代観光都市の〃元気印〃だった。昔のような心の落ち着けるしっとりした雰囲気〃タイの京都〃は、もうなくなっていると思えた。

 二十年前、〃玉本事件〃が当地であった。玉本さんというメガネをかけた日本人が、チェンマイで十代のおめかけさんを何人もつくりもてあそんだ、とかいう当時の日本のニュースを一人占めしたもの。タイのマスコミも異常に盛り上った。単に下ネタで済まされないセンセイショナルな二国間事件となった。メガネをかけた日本人は、タイ人の別称として〃タマモトサン〃であった。〃チェンマイ美人〃という日本語が出たのは、この時ではないかと思う。それ以降、日本人の観光客は〃色白のチェンマイ美人〃を求めて大挙押しかけることになる。それで、現地のタイ人とのトラブルもあちらこちらで発生する。今では、日本人観光客が、大型バスでその道の女性集団を一挙に乗り込ませる様子は余り見られなくなったと思う。が、当時はタイ人も目を丸くした絵図だったのだろう。

 七百年前のランナー・タイ王国の都チェンマイは、今では近郊を入れると五十万のビッグ都市。六五%は、農業に従事しているものの日系企業の進出が目につく。農業分野から前進し産業社会化の顔を見せている。この先、チェンマイはどのような変化を見せていくのか、目を離せない。

その2

 その夜、偶然にもアジアユース・サッカー大会の決勝戦、日本対韓国の試合があり、私は新設のチェンマイ競技場に出かけた。今年十二月に行われるアジア競技大会のチェンマイ会場の一つ。よく整備されていた。夜六時開始のそこは、カクテル光線が緑の芝生をより以上浮き立たせて見せた。客は七部の入り。日系の進出企業の関係者や在留邦人、日本のファンのタイ人らで日本応援団席は、盛り上がる。一方、韓国のそれは、数では日本に比べて少なく見える。日本と韓国の旗が揺れ、いかにも国際試合の雰囲気。私は、生まれて初めて「ニッポンチャチャチャ」の日本応援の一員となった。始め、この「チャチャチャ」を口にして言うのが、なんとなく気恥ずかしかった。が、その内に雰囲気に慣れ必死で言う私となった。それにしてもである。韓国の腹の底に響く応援の太鼓の一定のリズムは、何なのだろう。「チャチャチャ」が軽いノリに対して、あの〃韓国の音〃は地底から突き上げるマグマのパワーを呼び起こす周期音に思えてくる。グランドを走る韓国選手は、絶対的に自分の力の自信を持たせる暗示の音に聞こえるだろうと、私には思えた。

 結局、二対一で日本はまた韓国に負けた。私は韓国応援の太鼓のリズムと音の響きに、アジア大会にしろ二〇〇二年のワールド杯にしろ、もし韓国と対戦することがあれば日本はあの音に負け勝てないと思う」と予測をたてた。今回のチェンマイでの競技場の思い出が、今後とも対韓国戦が続く限り一瞬脳裏に浮かぶことだろう。

(OVTAタイ事務所所長)
開原 紘


[BANGKOK SHUHO]