アジアの風に恋をして

黒澤監督の死で思う


 世界のクロサワが先月六日亡くなった。ご存知、映画監督の黒澤明さんのことである。八八歳の年齢だった。私は、黒澤映画ファンの一人だった。残念である。

 いまさら私が黒澤監督について講釈する必要はない。が、ファンであった以上、一、二コメントしたい。

 黒澤映画との出会いは、記憶にあるのが「羅生門」(五〇年作品)である。静岡県沼津市で育った私は、小学生になるかならないかの年に、母親に連れられて沼津の大映映画館で見た思い出がある。小さかったので内容はわからなかった。が、やけに京マチ子が印象深く心に残った。それに、焼け跡の門と強い雨も脳裏に焼き付いた。この作品は、五一年のベネチア国際映画祭でグランプリを取る。世界のクロサワの登場だ。そして、五四年作品の「七人の侍」を兄が東宝映画館で見せてくれた。〃荒くれ雇い兵〃の三船敏郎、〃善の首領〃の志村喬、豪雨、泥田、野武士の盗賊団、耳に残る「七人の侍」のテーマ曲、どれをとっても私をクロサワ映画の虜にさせた決定的な作品。

 あれから時が過ぎた。「蜘蛛巣城」、「隠し砦の三悪人」、「天国と地獄」・・・「デルス・ウザーラ」、「影武者」そして遺作となった「まあだだよ」。十五、六本は見ている。

 黒澤イズムの映画は、現在の海外の映画作品にも影響を及ぼしている。古いところでは、「七人の侍」のウエスタン版でユル・ブリンナー主演の「荒野の七人」。十年前位のジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」。他にフランシン・コッポラ、スティーブン・スピルバーグといった超大物監督の映画手法は、黒澤映画から学んだものとして有名である、

 黒澤明の死は、外電が至急報で流した。時事電によると中国を含め多くの国が新聞の一面なり電波で一報を伝えたとあった。当地タイ国では、どうであったか。七日は、私はタイを離れていた。それでタイのテレビニュースは見られなかった。新聞では、バンコク・ポストがAFP電で「日本のNO一監督の死」として一面の中断に十八行で報道(詳細は国際面一段に掲出)。タイ語のタイラットやデイリーニュースといった現地紙は、国際面に顔写真付きの外電訳。秘書に聞いたが、まずタイ人は、「クロサワ」の名前も映画についても知っている人はいないだろうと言っていた。が、「ルーカス監督やスピルバーグ監督なら知ってる人はいます」と秘書。タイ人は、欧米物の娯楽映画は好きという。そういえば、最近では、映画「タイタニック」がタイでも人気だった。サウンド・トラックも受けた理由の一つかも知れない。

 私が、タイの映画で今でも印象に残っているのが、「田舎の教師」と「蝶と花」である。十数年前、東京で上映したアジア映画祭では、大好評であった。残念ながら、その後タイの名画を見ていない。当地、タイのバンコクでは、有料の映画館で日本作品を上映することはまずないのだろう。が、「九六年の周防正行監督『 Shall we ダンス?』が国内で大ヒットしただけでなく、米国でもスマッシュヒットとなった。(九月七日付け毎日社説)」と書かれているように、タイにも日本の娯楽作品を市場に配給してもらえば、それはそれタイ人も日本映画に〃サヌーク〃〃マイサヌーク〃と反応すること間違いない、と思うのだが・・・。   

(OVTAタイ事務所所長)
開原 紘


[BANGKOK SHUHO]