アジアの風に恋をして
昔 の 仲 間
私の前職のインドシナ難民の本邦受入を事業としたアジア福祉教育財団(外務省所管)の難民事業本部では、一九七〇年代の後半から九〇年代にかけ大量の難民がタイ国に流入したのに伴ないバンコクの日本大使館の領事部に難民受入の業務推進を図るべく嘱託の調整員を三年位の任期契約で置いていた。当時、世界的規模の物的援助、人的支援のドラマがこのタイ国を中心に繰り広げられた。が、今はもう過去の歴史となった。
当時、ラオス国境のノンカイやカンボジア国境のカオイダンといった一時収容キャンプで聞き取り調査や日本政府の入国許可条件を説明し額に汗し飛び回っていた元嘱託調整員が、当地バンコクに二人いる。ひとりは、旅行会社「SHINTAKE TOUR」経営の武田恵治君(四三)、もう一人は、人材派遣会社「FUJIYAMA」のジェネラルマネージャー矢野和貴君(四一)。両君にはいい仕事をしてもらい元難民事業本部の仲間として今でも感謝している。
今回は、矢野君の話をしたい。
七月十三日(月)の「チャンネル5」の朝のワイドショウに矢野君が生出演=写真=していた。偶然に見たのだが、私は驚いた。〃パントマイムをやる日本人〃としてタイ人の演技者ともども紹介されていた。そういえばその前日にも、「パントマイム in BANGKOK」として矢野君ら日本人とタイ人、韓国人との合同パントマイム劇がタイ日文化センターで開かれていた。あとで矢野君から話を聞いたのだが、局のスタッフが合同公演を見に来ていてそれでワイドショウ出演になったそうである。
そもそも矢野君とパントマイムの関係は、難民事業本部の嘱託調整員の任期契約が終わった一九八六年過ぎのカンボジア難民収容のアランヤプラテート・キャンプから始まる。彼は、一民間人ボランティアーとしてJVC(日本国際ボランティアーセンター)の奉仕活動に参加。コトバを使わなくても難民にもタイ人にも外国人ボランティアーにも理解できるパントマイムを知人から勧められる。自己流に演じるパントマイムにも笑ってくれ喜んでくれ拍手をもらう。矢野君は、はまっていく。何人にも通用する感情ストーリーの所作を模索する。そして、やがて、アンさんという現在のパントマイムの同好の士であるタイ人と巡り合う。
矢野君は、現在パントマイムのほかに「サザン天都」という台詞劇のサークルを主宰している。駐在員や主婦など九人の集団とか。来年の早い時期には〃旗揚げ公演〃をしたいらしい。が、学芸会のノリではやりたくないときっぱり。矢野君には大きな夢がある。東南アジアの国の人々を巻き込んだ演劇ができないかである。なにか話を聞いていて、〃矢野組アジア一座〃の時がやがて来るのでは、と思えてきた。
(OVTAタイ事務所所長) 開原 紘
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