アジアの風に恋をして
新 生ラ オ ス
一月末、用事でラオスの首都ビエンチャンに行ってきた。私にとり昨年四月のソンクラン時の訪問以来九カ月ぶりのビエンチャンとの〃再会〃だった。千九百七十五年の政変前に居たことのあるそこだったので、再会とはいえ、今回も気合の入ったラオス入りとなった。結論から先に言えば、社会主義国ラオスは、変革の様子であった。
行きは、ノンカイまで夜汽車。朝九時、タイとラオスの国境を流れるメコン河に架る「友好の橋」を入出国専用バスで一分余で渡る。オーストラリアの援助で作られたこの橋が出来る前は、タイのノンカイとラオスのタドウア間を、渡船がメコン河に流されながら行き来したものである。
ラオス入国のビザ(観光)は取っていたので、簡単に入国できた。ビザなしでも五十USドル払えば、入国が出来ることを知った。事実、数名の欧米人の旅行者がビザ無し専用窓口に集まっていた。そもそも、九カ月前には無かった〃新生現象〃であった。ビエンチャンの街中は、更に変わっていた。
下水道設置の基礎工事で主要な道路が掘り起されていた。赤茶けたラテライト土壌の山、むき出しで幾重にも重ねられたコンクリートの下水道管、重機とダンプ。ラオス訪問のおり世話になる日系商社のラオス人スタッフのK君の話では、二千年には、ビエンチャンの下水道工事は完了する計画とか。これが、もし計画通りにことが進めば、ビエンチャン市は汚染水処理では〃優・良・可〃のいづれかの印を押されること間違いないだろう。そう期待したい。
乾期の今は、メコン河の中州の砂埃が午後にはきまってビエンチャンの街中を舞う。それで、霞がかかった街の様相となる。しかも、下水道の工事の土埃がそれに輪をかけるのか、私の知っているこの時期のそれよりも、なにか街中がぼんやりとして見えた。霞がかかった夕方、対岸のタイの街シシェンマイの方向に沈んで行く大きな夕日を、メコン河を見ながら土手の露店で飲むビールは、〃至福の味〃である。だから、私は、ビエンチャンが好きだった。このメコンの〃パノラマ・ビヤガーデン〃に異変があった。欧米人でいっぱいなのである。先にも書いたが、ビザなしでも(五十ドル払えば)ラオスに入れることが、欧米のバックパッカーらに広まったようで、それで急激にラオス国入りしたようだ。九か月前には、欧米の旅行者は余り見受けなかった。今ビエンチャンの街で石を蹴れば、ぶらぶら街を散策する。〃紅毛碧眼〃に当たる。日系商社のK君も、ここ数カ月の外国人旅行者の出現には本当に驚いていると言っていた。九十六年の観光入国統計では、日本人が約六千六百人、米国人と仏国人がそれぞれ一万人強を数えている。旅行者の訪問先の一つが、ビエンチャンから四十分の飛行距離にある十六世紀までの首 都であった旧王都のルアンプラバン(世界遺産の一つ)にあるようだ。ゆったりした車や機械の騒音のない素朴なラオスの日常は、旅行者をホッとさせるようである。が、その押し寄せる外国人客の数に、ホテルが追いつけなくなってきていることも、新生ラオスの現在の姿である。さて、この素朴さを売り物としたラオス社会主義人民共和国は、来年は、タイと同様に「ラオス観光年」。どんな現象が生じてくるのか、またまた目が離せなくなった国である。
(OVTAタイ事務所所長)開原 紘
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