絶望の淵に立たされた夫が選んだ道は二人の幼子を道連れに首吊り心中
エイズ感染、妻の家出(?)
今月七日午前六時三〇分、ローイエット県警察に、市内バーンポンシーにある一軒家で親子三人の首吊り死体が発見された、との通報が入った。
現場はトタン屋根の平屋。家の回りには、数百人の村人達が集まり中を窺っていた。
警察が人垣をかき分けてようやく家の中に入ると、洋服ダンスで仕切って作られた寝室の中で、骨ばかりに痩せこけた身体にシャツとジーンズを着た家主のスモンコーンさん(三七)が、ナイロンロープを屋根の梁に結びつけて首を吊って死亡していた。
スモンコーンさんの死体の隣りには、バーンポンシー学校小学一年生の制服を着た息子のスラポン君(七)が、赤と白のチェック柄のパーカオマー(男性用腰巻き布)で首を吊っていた。
さらにその隣りには、同学校幼稚園の制服を着たままの娘のスガンヤーちゃん(五)がスラポン君が首を吊ったパーカオマーの端にもう一枚のパーカオマーを結びつけて同様に首を吊っていた。
死体がまだ硬直していないことから、死後四〜六時間経過と推察された。
警察は検死のため、三人の死体をローイエット病院に運んだ。
親子の死体の足下には、学生ノートに鉛筆で書かれた遺書が置かれていた。遺書は三枚に及び、スモンコーンさんの直筆で書かれたものと判断された。
一枚目には、スモンコーンさんが絶望していた事が書かれており、「考え過ぎて、良く眠れない。俺は誰からも愛されていない。親兄弟からも、そして妻からも。俺は愛する妻と一緒に過ごす老後をずっと夢見ていたのに、妻には他に愛する男ができてしまった」といった内容が綿々と綴られていた。
二枚目から後は、二児の母親である妻に対する非難の内容が書かれている。「もう妻にはウンザリだ。お前には俺の子供の面倒を見ることは出来ないだろう。お前は家を出る前に僅か一〇〇バーツだけしか置いていかなかった。こんな金でいったい何日生きられるというんだ。いくらお前のことが好きでも、諦めるしかない。来世でももうお前には出会わなくていい。(子供達に対して)お父さんはお前達を遠い所に連れて行ってあげるから、お母さんとはずっと離れよう」
警察が家の中を調べたところ、スモンコーンさんがエイズに感染し、さらに肺炎も患っているという医師の診断書が発見された。
第一発見者のパイブーンさん(四五)の証言によると、朝家の前を通りかかった時、いつもは見えるスモンコーンさんの座っている姿が見えなかったため、不審に思って家の中を覗いて見たところ、三人が首を吊って死んでいるのを発見したという。
近所の人々の話では、昨夜午前二時頃、スガンヤーちゃんの泣き声が少し聞こえたが、その後は静まり返ったので特に気にも留めなかったという。
警察は、スモンコーンさんが子供二人を道ずれに死ぬ決心を固め、遺書を書き留めた後、眠っていたスラポン君の首を吊ってからスガンヤーちゃんの首も同様に吊ろうとしたが、使用したパーカオマーが切れてスガンヤーちゃんは床に落ちてしまい泣き出したものと見ている。
自殺の原因について、近所の住民は次のように証言。
「スモンコーンさんは妻のプットさんと暮らし、二人の子供が生まれた。始めの頃は、スモンコーンさんが出稼ぎに行き妻と子供二人に送金をしていた。一九九六年にはエビの養殖の仕事に雇われて、妻と子供を連れて南部に移って行った。しかし、スモンコーンさんが病気で倒れ、仕事を続けることができなくなったため、去年の八月に郷里に戻って来た。その後健康診断を受けて、不治の病に罹っている事が分かった。そのため、妻のプットさんは夫と一緒に寝るのを止めたと言っていた。しかし、プットさんは母親としての義務は充分果たしていた。三〜五日間の割で近県に小物を売りに出掛け、食べ物等を買っては戻って来た。そういった生活が続くうちに、夫は妻から愛されていないと悩むようになり、時には妻に対して〃もう子供達と一緒に死んでやる!〃と怒鳴るようになった。プットさんは子供達の事を心配し、自分が出稼ぎに行く前には、子供を近所の家に預けるようになった。六日の朝、いつものようにプットさんは、ヌットさんという親戚の女性の家に子供達を預けてから出掛けた。夕方、スモンコーンさんがヌットさんの家を訪れ、〃俺は不治の病に侵されているから、いまのうちに子供達と一緒に寝たい〃と言って来たので、ヌットさんはその言葉を信じて子供達を父親に渡した」
警察は妻のプットさんに連絡し、三人の葬儀のことなどについて話し合うことにしている。
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